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創業からの想い

オープンであることがサイオスの原点

最先端のテクノロジーで着実に成長を続けるサイオス。
その成長の原点は、創業からの"想い"にあります。

代表取締役社長 喜多 伸夫
社長メッセージ

自由な発想とそこから生まれる革新的な技術それこそが社会課題を解決する。

サイオス株式会社
代表取締役社長 喜多 伸夫

PROFILE

喜多 伸夫(きた のぶお)
1959年生まれ。1993年から1999年までの米国生活中、Linuxと出会い、シリコンバレーのLinuxベンチャー企業の立ち上げを支援。 また、米国のオープンソースソフトウェア開発者たちとも積極的に交流。1999年、ノーザンライツコンピュータ株式会社の社長に就任。2002年1月、株式会社テンアートニと同社の合併に伴い、株式会社テンアートニ(現・サイオス株式会社)の社長に就任。

Linuxと出会った瞬間、「これは素晴らしい!」

学生時代は理系の大学で半導体を専攻していましたが、メーカーに入って研究を続けるのは少し違うかなと考え、稲畑産業という商社に入社し、半導体関連の仕事をしていました。その後、米国で半導体設計ソフトウェアなどの市場開拓をするために、1993年から1999年の6年間、ハイテク企業と起業家の聖地と呼ばれるシリコンバレーに駐在することになりました。そこでオープンソースソフトウェアの「Linux(リナックス)」に出会ったのです。

オープンソースソフトウェアとは、作成者がソースコードを無償で公開していて、誰にも利用や改変、再配布が許可されているソフトウェアのことです。当時は、マイクロソフトやオラクルなどが開発したソースコードが公開されていないソフトウェアのライセンスを購入して使うという、限りなく閉鎖的な世界が主流でした。一方、Linuxはオープンソースソフトウェアで、世界中の優秀なエンジニアたちが、ボランタリーに開発していました。

Linuxで軽快にパソコンが動く光景を目の当たりにした時、「これは素晴らしい!」と驚くのと同時に、「将来ウィンドウズパソコンに取って代われるかも知れない」と直感しました。

日本におけるLinuxの普及

1990年代前半はインターネット勃興期で、場所もシリコンバレー。若く優秀な開発者が大企業から独立して起業、優秀な学生も在学中に起業するなど、世の不便や悩み事を解消するために、自ら会社を興す若者がたくさんいました。彼らの「チャレンジ」する姿勢が、私に影響をもたらし、その後の私を支える柱になったのです。

最初こそ趣味の域を出なかったLinuxも急速に開発が進み、ビジネスでも使えるレベルになってきました。そこで1999年、日本に帰国し、ノーザンライツの社長としてベンチャーキャピタルから資金を調達し、本格的にLinuxのビジネスをはじめました。

当時の日本でも、企業のシステム部門エンジニアが個人的にLinuxを使い始めていました。しかし、企業がLinuxを導入する上では、誰がテクニカルサポートを行うかが普及の障害に。そこで、我々が全面支援することで会社側も安心して使えるようになり、徐々に広がっていきました。

企業でのLinux導入は、コスト面でのメリットも大きい。マイクロソフトなどのOSを使う場合、そのハードウエア1台ごとに、ライセンス使用料が発生します。その点、Linuxならライセンス使用料はかかりません。 そこで、サーバーを大量に使用する通信事業者が導入するようになり、それを契機に急速にLinuxは広まっていきました。

「SIOS」という社名に込めた思い

当初のビジネスモデルは、ハードを仕入れ、そこにLinuxを入れて販売し、その運用・保守のサポートで稼ぐというものでした。ところが、大手コンピューターメーカーが同じビジネスモデルで参入し始め、競争が激化していきました。そこで、オープンソースソフトウェアでアプリケーションの開発を行うビジネスモデルへの業態の拡大を画策。それを機に、大塚商会の子会社として先端技術を追求してきたテンアートニと合併することになりました。

その後、2006年6月には、私の原点でもあるシリコンバレーにあったSteel Eye Technology, Inc.(現SIOS Technology Corp.)を買収。グローバル企業となるためにも、分かりやすい社名にしようと考え、2006年11月、サイオステクノロジーに社名変更することにしました。(2017年10月には持ち株会社体制への移行に伴い、サイオステクノロジーからサイオスに社名変更)

サイオス(SIOS)という名前は、「SIOS is Innovative Open Solutions」の頭文字を取ったものです。そこには、「イノベーションによって人々の課題を解決し、よりよい社会の実現に貢献したい」という思いが込められています。

世界中の人々のために、不可能を可能に。

当社の基本的な考え方はオープンであることです。 オープンのほうがより良い世界が広がっているということを前提に事業を進めたいと考えています。それはシリコンバレーでLinuxと出合った時から変わらない思いです。自由に使わせてもらうけれど、その一方で自分たちも開発に貢献していく。

そして、人がやらないことをやる──。これが当社のDNAです。単にテクノロジーを販売するのではなく、テクノロジーを通じて社会課題を解決すること。そして、「世界中の人々のために、不可能を可能に。」を新たなミッションと定め、イノベーションによって人々の課題を解決し、より良い社会の実現に貢献していきます。

「不可能を可能に」するためには、テクノロジーを自分たちが身に付けなくてはいけません。また、当社がテクノロジーを大切にするという軸をぶらさないことが重要です。

オープンであることは、いろんなことに創造的に取り組めるということ。誰もチャレンジしてこなかったことにチャレンジできる。

原点にあるのは、「これをやったら儲かる」というようなことではなく、「これをやったら世の中が変わる。だから、チャレンジする」という思いです。それがあってこそ、初めて「不可能を可能に」できると考えています。